空の脱炭素戦略:持続可能な航空燃料(SAF)の技術、倫理、企業事例
はじめに:航空分野の脱炭素という難題とSAFへの期待
温室効果ガス排出量の削減は、地球規模での喫緊の課題です。多くの産業分野で電動化や再生可能エネルギーの導入が進む中、航空分野の脱炭素は特に難しいとされています。なぜなら、航空機には軽量で高エネルギー密度の燃料が必要であり、現在のバッテリー技術では長距離飛行に必要なエネルギーを賄うことが困難だからです。
このような背景から、既存の航空機やインフラを活用しながら排出量を削減できる「持続可能な航空燃料(SAF:Sustainable Aviation Fuel)」への期待が高まっています。企業のサステナビリティ担当者の皆様にとって、SAFは単に航空会社や燃料メーカーの問題ではなく、サプライヤーや顧客、投資家といった多様なステークホルダーとの関わりの中で、自社の脱炭素戦略を検討する上で無視できない要素となっています。本稿では、SAFの技術的な側面、倫理的な課題、そして企業の具体的な取り組み事例を通じて、空の脱炭素戦略におけるSAFの位置づけを掘り下げていきます。
SAFとは何か?技術的な概要と多様な製造経路
SAFとは、従来のジェット燃料に比べて、原料の生産から燃焼までのライフサイクル全体でCO2排出量を大幅に削減できる燃料の総称です。化石燃料由来ではない、様々な持続可能な原料から製造されます。
現在、SAFの製造経路は多岐にわたりますが、主に以下の種類が挙げられます。
- 廃食用油や動物性油脂由来(HEFA): 最も実用化が進んでおり、既存の精製技術を活用しやすい方法です。
- バイオマス由来: 農業残渣、林業残渣、特定の非食料作物(例:アブラナ科のヤトロファ、藻類)などから製造されます。熱分解やガス化などの技術が用いられます。
- 都市廃棄物や産業廃棄物由来: 廃棄物中の有機物をガス化や発酵によって燃料に変換します。
- 合成燃料(e-fuel): 再生可能エネルギー由来の電力、水、空気中のCO2を合成して製造されます。現時点ではコストが高いですが、原料の制約が少なく、将来的な大量生産の可能性を秘めています。
これらのSAFは、既存のジェット燃料と混合して使用することが可能です。混合比率には国際的な規格(例:ASTM D7566)があり、現時点では最大50%までの混合が認められています。将来的には100%SAFでの運航も目指されています。
技術的には進展が見られますが、SAFの最大の課題はコストです。従来のジェット燃料に比べて数倍から十数倍のコストがかかるため、その普及には技術開発によるコスト低減や、政策的な支援が不可欠となっています。
SAF導入における倫理的・社会的な論点
SAFは脱炭素に貢献する一方で、その導入には様々な倫理的・社会的な課題が伴います。企業のサステナビリティ担当者は、これらの課題に適切に対処し、ステークホルダーへの説明責任を果たす必要があります。
原料調達の持続可能性と公平性
特にバイオマス由来のSAFにおいて、原料の調達は重要な倫理的論点となります。
- 食料との競合: 食料作物(トウモロコシ、サトウキビなど)をSAF原料として使用することは、食料価格の高騰や食料安全保障への影響を引き起こす可能性があります。このため、非食料作物や廃棄物を優先的に使用する、あるいは持続可能な認証を受けた原料に限定することが求められます。
- 土地利用の変化: 原料生産のための農地やプランテーション拡大が、森林破壊、生物多様性の喪失、地域住民の立ち退きといった問題につながるリスクがあります。持続可能な土地利用計画と、影響を受けるコミュニティへの配慮が不可欠です。
- 人権問題: 原料の生産やサプライチェーンにおいて、劣悪な労働条件や強制労働といった人権侵害が発生しないよう、デューデリジェンスの実施と透明性の確保が求められます。
これらの課題に対処するため、RSB (Roundtable on Sustainable Biomaterials) やISCC (International Sustainability & Carbon Certification) といった第三者機関による持続可能性認証が重要な役割を果たします。認証を受けたSAFを使用することで、原料の持続可能性やサプライチェーンの透明性を示すことができます。
排出削減効果の透明性と説明責任
SAFの排出削減効果を適切に算定し、透明性を持って開示することも倫理的な側面です。ライフサイクル全体での評価(LCA)に基づき、原料生産、輸送、製造、燃焼といった全ての段階での排出量を考慮する必要があります。グリーンウォッシュと批判されないためには、正確なデータに基づいた客観的な情報提供が重要です。
公平な移行(Just Transition)への配慮
SAFの高コストは、航空運賃の上昇につながる可能性があり、社会的な公平性に関わる論点となります。また、既存の化石燃料関連産業からの移行に伴う雇用や地域経済への影響にも配慮し、公平な移行を支援する取り組みが求められます。
企業の取り組み事例と経営戦略への統合
多くの企業がSAFの導入や普及に向けて具体的な取り組みを進めています。これらの事例は、サステナビリティ戦略を経営に統合する上でのヒントとなります。
航空会社の取り組み
航空会社はSAFの主要な需要家として、その導入拡大に積極的に取り組んでいます。
- SAF購入契約: SAFメーカーと長期的な購入契約を結び、将来的なSAF使用目標を公表しています。これにより、SAFメーカーは生産拡大に向けた投資を促進できます。
- SAFサプライチェーン構築への参画: SAF製造に必要な原料調達やサプライチェーンの構築に、提携や合弁事業を通じて参画する事例も見られます。
- 顧客との連携: 法人顧客に対して、出張時のSAF使用量を報告したり、SAF購入費用の一部を負担するプログラムを提供したりすることで、顧客のサプライチェーン排出量削減に貢献しています。これは、Scope 3排出量削減を目指す企業にとって重要な取り組みです。
SAFメーカーや技術開発企業の取り組み
SAFの供給サイドでは、原料の多様化、製造技術の効率化、コスト削減に向けた研究開発が進められています。
- 多様な原料への挑戦: 廃食用油だけでなく、セルロース系バイオマスや合成燃料といった新たな原料からの製造技術開発に注力しています。
- 大規模生産施設の建設: SAFの安定供給とコスト削減のため、大規模な製造プラントの建設計画が進められています。
- 認証取得とトレーサビリティ: 原料の調達から製品まで、サプライチェーン全体の持続可能性を証明する認証を取得し、トレーサビリティシステムを構築しています。
他産業や投資家の役割
航空業界や燃料産業だけでなく、他の産業や金融セクターもSAF普及に貢献しています。
- 原料供給企業: 持続可能な方法でSAF原料を生産・供給する企業が、サプライチェーンの重要な担い手となっています。
- 金融機関: SAF関連プロジェクトへの投融資、グリーンボンド発行など、資金面からの支援を通じてSAFの普及を後押ししています。インパクト投資の対象としても注目されています。
これらの取り組み事例から、SAF導入は単なる燃料の切り替えに留まらず、サプライチェーン全体での連携、技術開発への投資、そして多様なステークホルダーとの対話が不可欠であることが分かります。企業の経営戦略においては、SAFへの取り組みを脱炭素目標達成、規制対応、そして新たな事業機会の創出といった視点から位置づけ、統合的に推進していく必要があります。
結論:SAFが拓く未来と企業に求められる役割
持続可能な航空燃料(SAF)は、航空分野の脱炭素を実現するための最も現実的なソリューションの一つとして、その重要性を増しています。技術開発は進み、多様な製造経路が検討されていますが、コスト、原料の持続可能性、倫理的な課題といった乗り越えるべき障壁も存在します。
企業のサステナビリティ担当者の皆様にとって、SAFは航空会社の課題であるだけでなく、自社の排出量(特にScope 3)にどのように影響するか、サプライヤーとしてどのように関わるか、投資対象として適切かなど、多角的に検討すべきテーマです。SAF導入を検討する際には、技術的な可能性だけでなく、原料調達における倫理、サプライチェーンの透明性、ステークホルダーへの公平な影響といった側面にも深く配慮することが求められます。
今後、SAFの生産拡大、コスト低減、そして規制の整備が進むことが期待されます。企業は、こうした動向を注視しつつ、自社の脱炭素戦略の中にSAFをどのように位置づけるか、具体的な目標設定やロードマップ策定を進めることが重要です。また、SAFの普及を促進するためには、業界間の連携、政府への働きかけ、そして持続可能性認証を活用した透明性の高い情報開示を通じて、信頼を醸成していくことが不可欠となるでしょう。SAFは、空の旅の未来を持続可能なものに変える可能性を秘めており、その実現に向けて企業が果たす役割はますます大きくなっています。